ささやかな喜び。
今朝、事務所に来る途中、わが愛車
(通称 スーパーK君)のメーターが・・・・・・

「88888」
感動 

下のメーターまで「888」 マジ 
日本ではあまり馴染みがないが、とある国では8は「縁起が良い」みたい。
8(バ)の発音が、「お金持ちになる」という意味の「發財」(バツァイ)の時の発音と同じ音であるとか、8の字が「∞(無限大)」と同じ形ということで、子々孫々まで広がりをもって発展していくことを表すとか色々言われているようです。
思えばスーパーK君
、私が事務所を出したときから、故障もなく、寒い時や熱い時も文句をいうことなく、いつも一緒に頑張ってくれています。感謝の意味でたまにハイオク入れたり、綺麗に洗車したりしてますが。
その位あたりまえでしょ
何かと重宝で、時に無茶な事もありますが、これからもよろしく
縁起が良いとの事で、「もしかしてこんなことがあるかも
」と勝手に妄想に夢広がるつかぽんでした。
世の五種の利交
世のこのような「利交」は滔々として皆しかりであるが、絶えて「素交」、すなわち純真な生命の交流はない。
勢交 ある人の威勢に付く。
賄交 権力者に取り入って利を得る。
談交 ある人の雄弁宏辞を利用して、名を博そうとする。
窮交 互いの弱点で結びつく。
量交 損得を計算して取り入れる。
(劉孝標廣絶交論)
夏至の今日、静岡も猛暑!
1年で最も日の長い夏至の22日、日本列島は太平洋高気圧に広く覆われて気温が上昇し、群馬県館林市で36.5度を記録するなど、今年初めて気温が35度以上となる猛暑日を13地点で記録した。
気象庁によると、猛暑日を記録したのは関東甲信と東海の5県で、埼玉県熊谷市で35.5度、静岡市駿河区で35.3度、山梨県甲州市で35.2度、栃木県佐野市で35.1度など。
今朝、静岡から富士へ来るのにバイパスを通ってきたが、由比・蒲原あたりは濃い霧で数メートル先しか見えない状況でした。その時点で、今日はかなり暑くなりそうな予感はしていましたが。
お昼頃には35度超えていたと思う。とても蒸し暑く、普段汗をかくことがほとんどない私でもじんわり汗が・・・・
まだ6月だというのに、35度超えかよ~。勘弁して
節電を心がけているので、窓を開けて、うちわで何とかしのぎましたが・・・。
ちなみに、真夏日は日中の最高気温が30度以上の日を言い、猛暑日は日中の最高気温が35度以上の日をいいます。
それにしても、電力需要がの伸びが心配だ。今日のピーク時には85~86%近くいったとか?
夏場は今日のような日が毎日続くのに、東電の電力供給は大丈夫なんでしょうか
ついに静岡茶まで基準値を超える放射性セシウムが検出。
静岡市・藁科地区にある「本山茶」の製造工場の茶葉から、国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出された問題で、静岡県は14日、同地区の工場20カ所で抜き出した一番茶の製茶を調べた結果、新たに5カ所で基準値を超えたと発表した。県は同日、5工場に出荷自粛と商品の自主回収を要請。放射性ヨウ素は検出されなかった。県は飲料水の基準を大幅に下回ったとし、川勝知事も記者会見で「飲むのはまったく安全」と強調。
(共同通信社)
放射能が静岡まで来ているのは新聞やネットで最大放射線量などを調べればわかる。
数値を見る限り、人体に影響を与えるレベルではないのもわかる。
しかし、茶葉から、国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されたということは、実害が出たということだ。これにはかなりショックを受けた。
静岡のお茶は美味しいし、よく飲んでいるし・・・。
ついに静岡まで来てしまったか。という感じた。
茶葉から検出されたということは、ほかの葉物に関しても、疑いありと思わなければならないだろう。
県は、この工場の茶葉を湯に入れ、抽出した飲用茶を調べると飲料水の基準を大幅に下回ったと説明、「飲むのは安全」としているが、これはいかがなものか・・・・?
茶葉は問題ありだが、「飲むのは安全」と言われて安心して飲めるのでしょうか。
規制値500ベクレル以下の製茶の飲用は安全と言っているが、今回の検査で超えたのは本山茶であるが、清水のお茶は461ベクレル、富士のお茶が359ベクレル、なんとも微妙な数字だ。
県は13日夕方に予定していた製茶検査公表を14日に先送りした。なぜだろうか?
1日、2日遅れたところで結果は同じだと思うが・・・。何か意図するものがあったのであろうか。
国や行政の対応はまあこんなもんでしかないのである。
残念ながら、自分や家族の命は自分たちで守らなくてはならないのである。
日日過を改むるを要す。
「外、人の急を済はんと思はば、内、己の邪を閑がんことを思へ。務めて日日非を知り、日日過を改むるを要す。凡そ一日非を知らざれば即ち一日自ら是とするに安んず。一日過の改むべきもの無くんば、即ち一日歩の進むべき無し。」
人のために何かをと思うなら、まず自分の邪念をふせぐことを考えること。そうして日々自分の非を知り、日々過ちを改めることが肝心である。
一日自分の非を知らなければ、一日自分を是として安んじてしまう。一日何の過ちも改めることがないというのは、とりもなおさず一日何の進歩もないということである。
めでたい時の「海老」とは?
披露宴や正月料理など、めでたい時に使われる海老。
エビは、長いヒゲと腰の曲がったかっこうが海の翁を思わせることから「海老」と書かれ、長寿の象徴とされ、火を通すと朱赤色となるため縁起ものとされてきた。夫婦仲むつまじく、腰の曲がるまで長生きに・・・。という意味だと思っていたが・・・。
海老は生きている限り殻を脱ぎ続ける。生きている間中は固まらない、常に生き生きと進化していく。殻が脱げなくなった時に命が尽きる。いつまでも新鮮さを失わない(いつまでも若い)という意味もあるそうだ。
ん~。なるほど

年を取るにしたがって、新しいことを進んでやる意気込みはだんだんなくなっていくものです。海老のように、常に生き生きと進化していきたいものです。
お客さんは意外と覚えていてくれるもの。 Part2
お客様が官地の件を覚えていてくれたことはとても有り難いことで、説明もスムーズに進んだ。
しかし、払下げに関わる費用を説明をすると
「そんなにかかってしまうんですか?」
確かに払下げの代金だけであれば納得がいくものの、その他に測量、用途廃止、払下申請、表示・保存登記の費用がかかるのである。
おまけに払下げの坪数が数坪(比較的少ない面積)となると、単純に坪あたりの計算をすると、かなり割高になってしまう。普通に考えても納得しずらいものだ。
しかし、現実的に官地を利用していて、その部分がないと困るのでお客様にはその辺の所を理解していただきました。
問題はその代金をどうするか。と言うことになった。
工務所の方でもかなり勉強してくれてはいるものの、そりゃ、住宅ローンやお子様をかかえている一般家庭で、まとまったお金と言われても大変なことだ。お客様も金融機関に聞いてみますと言っていたので、私もこの件の説明等がしづらいと思いますから同行いたしますよ。と行って金融機関に相談し融資して頂ける事になった。
あとは工務所の進行状況次第となったので、工務所の担当者の方にあとの事はお任せした。
数日後、お客様から
「お陰さまで、手続きが全て終わりました。前の会社にいないのに、色々と手伝ってもらって本当にありがとうございました。」
との電話を頂いた。感謝の言葉はとても嬉しいものだ。
今回、仕事から言えばボランティアであるが、何より以前のお客様が私の事や内容について覚えていてくれた事は何より有り難く嬉しいもので、そのお客様のお手伝いが出来て良かった。
「こちらこそ、ありがとうございます。」
お客さんは意外と覚えていてくれるもの。 Part1
先日、測量等の業務を行っている工務所の方から電話があった。
内容は10数年前、私が勤務していた会社の分譲した区画の土地に隣接していた官地(現在お客様が利用している)の払下げの事で、市役所の方から早く手続きを進めてくれないと困ると言われたので、お客様に聞いてもらえないかということだった。
確かに10数年前(私がサラリーマンの時)分譲地を購入して頂いたお客様の敷地に隣接して官地があり、それを利用しないと駐車スペースが狭くなってしまい、車道に車がはみ出てしまうと言う事で、当時お客様に説明し、工務所に頼んで払下げの申請をしてもらった案件である。
しかし、法務局の担当者(かなり偏屈だったらしい)が道路や水路に接している官地である為、ああだ、こうだと見解の相違で話が頓挫してしまったものであった。
それが今になって、役所も何を今になって思い立ったか、財源の確保か分からないが、工務所に言ってきたようだ。
工務所の担当者も私がまだ前の会社にいると思って電話してきたのだし、当時私が担当していたお客様だったので、快く承知したのは良いが、お客様が私の事を覚えているのか?当時の話はちゃんと理解して頂けているのか?(現在その敷地を普通に利用していて、今になって当時言っていた金額がかかりますなんて納得するんだろうか)と不安であった。
話をするためにお客様宅を訪問すると、
「あー、不動産屋さんですよねぇー。」
「はい、ご無沙汰してます、実は敷地に隣接している官地の件で・・・。」
「あーっ、そう言えばあれからどうなったのかなって心配してましたよ。」
あーっ。覚えていてくれてたんだぁ

なんかとっても嬉しい気持ちになった。
続く・・・・・・。
天命を知ること
「命を知らざれば以て君子為ること無きなり。礼を知らざれば以て立つこと無きなり。言を知らざれば以て人を知ること無きなり」
(孔子)
自分の天命を自覚し、その天命に安んずるようでなければ、真の君子と言われる資格はない。
社会の制度や習慣である礼を理解し、それを社会生活の拠りどころとしなければ、ほかから惑わされず、しっかりと世に立ち、自分を守っていくことはできない。言は心の声と言うが、相手の言葉の意味を正しく理解し、その本心がよくわかるようでなければ、相手の是非善悪を知ることはできない。
およそ人は境遇が良くないとか、面白くないとか、利益がないとか言いがちだ。そして少しでも利益が多いと思う方へすり寄っていき、それがどんなに人間性を損なうものであるかを見ようとはしない。
もっと自分の天命を自覚し、自分の足で歩き、順境にあっても逆境にあっても心を乱さないように生きることが大切なのです。
進歩を止める行いとは?
「善を見て而も怠り、時至りて而も疑い、非を知って而も処る。この三者は道の止む所なり」
(文韜)
この三つがあると、進歩が止まってしまう。「善を見て怠り」、この時機ということを見ながら、これを実行せず怠る。
時機、時というものは、のべつ幕なしにあるわけではありませんので、必ず機というものがある。だから時機と申します。人間の生命にも必ず機と言うものがあります。つまり、そこを押さえたら、それが他の部に、また、全体にひびき所と、一向何にもひびかぬ所があります。つまり、「ツボ」「勘どころ」というものが皆あります。時というのは、そういうツボ、勘どころの連続であります。
時というものは、機というものの連続であります。だから、時というものをとらえようと思うなら機をとらえなければならない。これは一度逃してしまえばなかなか始末におえないものであります。その時が至っておるにもかかわらず、疑って、まだ時機が早いとか、やれ反作用がどうだとか言って、ぐずぐずする。それから、悪いと知りながら、何もせずしまっておく。この三つがあれば、どうしても進歩が止まってしまうものです。「非を知って而も処る」。進歩的なナショナリズム、軍人、政治家、戦争も政治もこれで大事を誤ったということを論じております。
(正岡正篤)