社長ブログ
人生、心の在り方一つで変わるもの?
私たちは日々の生活の中で哀愁哀楽の感情を表現したり、人を愛したり憎んだりすることで、心の存在を知ることができます。
「勝った・負けた」「得した・損した」といって一喜一憂するのも心です。
眼で見たり、耳で聞いたり、鼻で嗅いだり、手で触れたり、足で歩いたり走ったり、口で昧わったり話したりするのは、心が感覚器官つまり五感を通したうえでの働きかけです。
逆に感覚器官が外界の刺激を捉えると、その反応は脳を介してさまざまな感情や思考、あるいは行動となってあらわれます。
心のあらわれ方は百人百様です。同じような環境にあっても満ち足りた気分になる人もいれば、おおいに不満を覚える人もいます。お城のような邸宅で暮らし、毎日ご馳走三昧でも幸福感がやってこない人もいれば、極貧生活の中にも楽しみを見出し、麦飯と味噌汁だけの質素な食事をしみじみ昧わえる人もいます。
ただし、豊かな不満社会に生きる現代の日本人は、環境に関わらず概して不満傾向にあるといえるのではないでしょうか。
それなりにいい家に住み、いい車に乗り、いい服を着てブランド品をたくさん持っていても、不満は不満、そして不安は不安。その心の理由を解き明かしていく前に、ぜひとも耳を揃えて聞いていただきたい言葉があります
「道は貧道より尊きはなし(どうはひんどうよりたっときはなし)」
これは江戸中期の禅の中興の祖・白隠禅師の言葉で、意味は「たとえどんなに貧しくても、その日暮らしであろうとも、心だけは王侯貴族のような気持ちでありたい」。
つまり、物質的な貧しさと心の貧しさは共にあるわけではなく、たとえ赤貧洗うがごとくの生活の中でも、心はその在り方一つで豊かでいられるということです。 生活が貧しくなったからといって、私たちの心まで貧乏になっては困ります。 たとえ粥をすすりながらでも、心は天下を取ったような大きな境地でありたい。 
その上で、向上の志を持って生きていきたいものです。 
(プレジデントロイター)
人は日常生活の中で、あらゆる感情を抱きます。
同じ事を言っても冷静に話を聞く人もいれば、すぐかっとなって怒り出す人もいます。なかなかゆとりの持てない現代社会ですが、「心も持ちよう」で良い人生を送りたいものです。